河内先生と 深く深く 悩んでいることが ある。
勉強する 生徒と しない 生徒 。
成績が どんなに よくても 悪くても、 がんばろうという気持ちを 持たせきれない、 きちんと勉強させきれない
―これでは、 教師として失格。
教師として 失格であれば、 私たちは 職を 辞するべき… そんな話を 本気で している毎日だ。
数日前、 尾崎 豊の番組が NHKで流れていた。 尾崎豊は、 河内先生の 崇拝するべきと言っても過言でない
アーティストだ。
亡くなって15年も 経つが、 全く 色あせていない。 彼の詩には、 若いながらも(若いからこそ) 真実を求め苦しみ さまよう実態が 言葉を媒体にして 伝わってくる。
尾崎の ファンであるという 脳科学者の 茂木健一郎氏が、 解説者として 番組に出演していた。
その中で、 茂木 氏が言っていた事―自分が若い頃、 心酔していた尾崎の詩を 現代の大学生に聞かせても、何も 感じない、 何も 思わない ― そう、 確かに 温度が 伝わらない。
尾崎の詩を読むと、 あんなに 狂おしく ぶつけようのない 社会や 大人への 思いが、 自分の心の叫びのように感じられていたのに、 今の 10代や20代には、 無関心・無感動なのだ。
本当に自分が いくら 熱くなって 語っても、 生徒の 将来のことを思って 投げかけても、 伝わらないのだろうか?
そこまで 厚みも ふくらみも 持たない 固い 固い 心 しか 今の 子供たちは、 持たないのだろうか?
そうだとすると 将来に希望が持てず 陰鬱としてくる。
受験前には、 誰でも 本気で がんばりだすが、 今 本気で がんばらせたい。
試験前に がんばれることは、 今でもやれるはず。
それが できれば、 誰でも 合格できる。
どんな成績の生徒でも 合格できる。
だから、 希望を持って やらせたい。
それが できる 教師が、 本当の教師だ。
河内先生と 私の会話は、 まだまだ 続く。
河内先生が よく 歌うのは、 尾崎豊の15の夜。
15の夜
落書きの教科書と外ばかり見てる俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やりばのない気持ちの扉破りたい
校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない
しゃがんでかたまり 背を向けながら
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして仲間達は今夜家出の計画をたてる
とにかくもう 学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている
15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
冷たい風 冷えた体 人恋しくて
夢見てるあの娘の家の横を サヨナラつぶやき走り抜ける
闇の中 ぽつんと光る 自動販売機
100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ
恋の結末も解らないけど
あの娘と俺は将来さえ ずっと夢に見てる
大人達は心を捨てろ捨てろ言うが 俺はいやなのさ
退屈な授業が俺達のすべてならば
なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な
15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
覚えたての煙草をふかし 星空を見つめながら
自由を求め続けた 15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳りの中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜