河竹会ブログ

原爆忌

 8月9日は、 長崎にとって 特別な日です。

 62年前の 8月9日に、 原子爆弾が 長崎市上空で 炸裂しました。 

 私の 親族も 原爆で 亡くなりました。 祖母の 妹と生後6ヶ月の息子です。 
 祖母の妹は、 即死。 赤ん坊の上に 負いかぶさるようにして 亡くなっていたそうです。
 奇跡的に 6ヶ月の息子は 助かりました。 しかし 10ヵ月後に 原爆症で 亡くなりました。 

 祖父は、 三菱長崎造船所に 勤務していましたので、 本来ならば 被爆していたのでしょうが、 8月6日に 広島出張に出かけ、 途中で 広島に 新型爆弾が落ちたことを 知りました。 
 
 引き返す途中で、 今度は 長崎が 焼け野原になっていることを 聞き、 焼けただれた 人たちの惨状を見て、 長崎に戻るのを やめたそうです。

 リヤカーに乗せられた 瀕死の 人たちが、 「水を」と 言って、 スイカを食べさせると、 こときれてしまった…と父が涙ながらに言ったことを 覚えています。 

 そういうことを知っている人たちも、 だんだん 少なくなってきました。

     
 私は 戦後生まれで 戦争も知らず、 原爆の悲惨さも 直接 体験したわけでは ありません。 

 ただ 自分が住む町で起こったこととして、 他県の 人たちより 原爆のことは 知っているかもしれません。 

 
 私のような世代が 増えてくると、 原爆の風化は 避けられないのかもしれません。 

 もちろん これで いいはずがありません。 原爆が 落ちた 街は、 世界で たった2つです。

 広島は、 最初に 原爆が 落ちた場所なので、 よくニュースにも取り上げられ、 世界中の人も ヒロシマは、 知っています。  

 長崎は、 広島に比べ 死者の数が 少なかったためか、 あまり ニュースでも 出てくる機会がありません。

 なんとなく 長崎の人たちは、 黙って 耐えて 祈っているような イメージがあります。 

 私が ケニアに行ったとき、 入国審査の係官から Are you from Nagasaki, Japan ?  と聞かれました。
Yes , but do you know Nagasaki ? と聞き返しました。 
Yes , it’s an atomic bomb town . と 係官は、 同情を寄せるような表情で 答えました。 

 私は、 外国人で 長崎が 被爆地だと知っている人が いるのが、 不思議に思えました。 

 しかし 私の中の 違和感に 自分の事ながら、 これでは いけないと 思いました。

 
 やはり 戦争は、 いけないことです。 何の罪もない人々を 一瞬にして 命を奪い、 未来を奪い、 全てを奪い去る権利など、 誰にも ないのです。 

 原爆を投下した アメリカは、 自らの 反省をするどころか 原爆を落としたから 戦争が終わったと詭弁を使っています。 
 
自分達の街に 原爆が 落ちたら、 同じことを言えるでしょうか?  

9・11のテロに対して、 怒りをあらわにした アメリカは、  9・11テロの数倍の人命を奪った 原爆を肯定することなんて できないはずです。

 まして 従軍慰安婦問題を 今になって 謝罪しろと議会で 可決するなら、 原爆は 謝罪ぐらいでは済まされません。

 国際法で 戦争による殺人の 保証は、 全て 放棄するという 主旨に賛同した 日本は、 愚かだったのでしょうか?

 今 世界のいたるところで 発している怒りや争いの熱は、 過ちから 起こり 間違った方向へ 向けられているような気がしてなりません。

 8月9日は、 平和の原点に戻る日です。 どこの国も 平和で あってほしいと思います。 子供の笑顔が あふれて、 未来を 語る姿を 見守れる世界であってほしいと思います。 

 今 そのことを 声を大にして 言えるのは、 ナガサキとヒロシマ だと思います。 

 それが 被爆地に生きる 私達の 責務です。 

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