毎日驚いたり悲しくなるようなニュースが多い中、 高校の必修科目の授業が全国の高校で行われていなかったニュースは、 考えさせられることが多かった。
考えるまでもなく、 大学入試に必要がない科目は誰でも勉強したくない。 入試にいらないのであれば、 高校もできるだけ必要な教科だけ勉強させるように配慮するのは、 当然である。 生徒の負担も考え、 高校の大学合格実績のためにも、 必要な教科を中心に勉強させたいと高校側は考えるだろう。
しかし、 受けていない教科の成績をでっち上げて、 推薦入試の調査書に記載するのは、 「公文書偽造」という立派な犯罪である。 その生徒が、 人物・成績共に素晴らしい生徒であったとしても、 一部のウソは全てを塗り替えてしまう。
仮に高校側が生徒の事を考えてあげてやったことでも、 結果的に一番傷つくのは生徒である。
そもそも大学入試のシステムや学習指導要領の中身にこの問題の根本はあるような気がする。 以前は3教科型の国公立入試もあったが、 大学入学後の学生の学力の低さから、 大学入試の教科数は、 5科目7教科型に戻ってきた。
受験地獄から子供たちを救うために、 科目数を減らした。 その結果バカな大学生が増えた。 それでまた科目数を増やした。 全てが後手後手の施策である。 しかも長期的なビジョンはない。
国は、 短期・中長期の目標を定めた上で、 現場の状況をしっかり把握しなければならない。 いじめの問題にしても、 この未履修の問題にしても現場の(管理職・教師・生徒・保護者)実態というものに即していないから、 歪んだ構造が出来上がる。
当事者ばかりに批判の矛先を向ける前に、 事態の根源がどこにあるか見失わないようにしなければならない。 表に出てきている部分より見えない(見ない)部分の根っこが深い問題が今日の日本の教育問題である。