河竹会ブログ

私の目標

 それほど 心配する事ではないかもしれませんが …

 最近 生徒の皆さんの中から 聞こえてくる声に、 ちょっと 不安になる私です。 

 
 勉強することは、 将来 何の役にも たたない。

 今勉強していることは、 大人になった時 必要ない。 ルートの計算だって 知らなくても生きていける、 江戸幕府を
開いた人が 誰だか知らなくたって、 自分の生活には 何の関係もない! 

 「勉強しなくても 生きていける。」 こう 確信を持って 言った生徒がいます。 

 反論は もちろん ありますが、 聞くと 脱力です。 

 いつでも どんな時代でも こういう 発言は、 あるものですが、 最近の子供たちの発言には、 違ったニュアンスを感じます。 

 今の 若い人たちは… というと 自分が もう時代についていっていないのかもしれないという 自分への恐れはありますが、 それでも 勇気を持って 言います。 

 発達心理的に見ても数年前の生徒と比較しても やはり 違いがあると思います。 

 以前だったら、 社会に対する反発や 上に対する抵抗で 「勉強なんかしなくても 大丈夫!」と突っ張って 言っていたと思います。 しかし なんだかんだ言っても 勉強する時になれば、 7年前ぐらいの生徒達は、 勉強していました。 
 
 しかし 今の子供たちの 発言には、 無気力感が いっぱいに 漂っています。 切羽詰っても 勉強しません。 

 彼らの心は、 快楽しかありません。  

 こういう 子供たちは、 勉強以外のことに 積極的になれるかというと、 なれません。 全てにわたって、 無気力・無関心 です。 たとえば 野球が 好きと言っても、 そこまで必死で 練習しなくてもいいと言います。 

 「勉強する必要は、 全くない」と言った 生徒に、 「お母さんは 何も言わないの?」と聞くと、 「勉強する必要性について いろいろ たくさん 言うよ」と 答えます。 

 「じゃあ」と私が 口を挟もうとしたら、 「お母さんはいろいろ言うけど、 ぼくは ぜんぜん 聞いとらんし~」と答えます。 

 母親の言葉に 全く耳を貸していないのです。 

 この生徒が、 どんな環境で どんな生育暦を たどってきたかは、 はっきりしません。  

 しかし こうなった 理由が 必ず どこかに あるはずです。 

 誰も 無気力・無関心になるように 育てる 親は いないと思います。 でも 知らず知らずのうち、 あるいは仕事と家事の忙しさに追われているうちに、 見落としてきたものが あるかもしれません。 

 私は 勉強は 自分の人生を切り開いてくれるもの と 確信を 持っています。 だから、 勉強してきて よかった!と思うことと もっと勉強しておけばよかったと 思うことの 両者を 今 感じています。 

 そして もし 誰かを 採用しようとすれば、 条件は いろいろありますが、 きちんと 勉強して 一般常識を 身につけていることは、 前提条件です(あたり前のことです) 。 

 あたり前のことができない人は、 会社にとっては 利益を生むどころか 会社に損失を 与えます。 

 そんな人は、 どこの企業でも お断りです。 

 子供たちに もっと 明るい未来を 見られるように してあげるのが、 私達 大人の役割では ないかな?と思います。 

 もっと勉強することが おもしろくて、 自分の将来が 開けてくるんだーということを子供たちに 感じて もらえるようにしたい! ということを この 夏の集中講義 終盤で 強く 感じている 私です。 

 そのためには、 私が 勉強しないと! と思っています。 そして もっと もっと 楽しい授業、 もっと私自身が 楽しめる授業の工夫や 展開を 演出しないと いけないと 考えています。  

 私の具体的な次のターゲット(目標)は、 何にしようかな~? なんて この頃 考えています。 

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