河竹会ブログ

私の祖母

 今月は、 世間では3連休が2回 あるというので、 なにやら 夏休みの延長ではありませんが、 旅行業者も 忙しいみたいですね? 

 でも 何の 祝日かというと、 敬老の日と秋分の日が あるのですね? 

 敬老の日と言われると、 おじいちゃん おばあちゃん でしょうが、 私の祖父母は もう全員 他界しています。

 私が 知っているのは、 父方の 祖父と 母方の 祖母の二人です。 父方の祖母は、 私が生まれる前に 亡くなりました。 母方の祖父は、 戦死です。 

 母方の祖母は、 1800年後半から 続いている 老舗旅館の 女将でした。 今 NHKの朝の連続ドラマで「どんど晴れ」という番組が あっていますが、 あの ドラマに出てくる 大女将 のような 祖母でした。 

 戦争のさなか 女手 一つで5人の子供(実際は6人でしたが、 幼少期に亡くなっています)と めいとおいも 自分の子供同様 合計7人 育てながら、 旅館を切り盛りしていました。 

 町中 知らない人はいないくらい、 働き者の 名物女将 だったようです。 

 私には 優しくて 強い 祖母でした。 

 明治生まれの祖母ですが、 身長160センチを超える 当時としては、 大柄な体格の 女性でした。 

 でも 大きいのは、 体格だけではありません。 気持ちが 大きな女性でした。 いつも 凛として 何があってもドンと構えている 肝っ玉のすわった人でした。 

 
 私達 孫に ことあるごとに 「勉強しなさい、 勉強しない人間は ろくな人間にならない。 女の子でも 勉強して自分で自立できる力を 今からは 持っておかないと 生きていけない。 ちゃんと勉強して、 一生懸命 働いて、 人様の役にたつ 人間になりなさい。 なんもせんで 遊んでいる人間が 一番つまらん。」 と 言っていました。 

 自分の娘たち(つまり私の母たち)には、 「子供に 残せるものは、 教育。 どんなに 生活がきつくても、 子供に勉強させなさい。」が 口癖だったようです。 

 
 明治生まれの女性にしては、 時代の先を読んでいた祖母だったと思います。 

 朝からドラマを見ていると、 なんとなく祖母を 思い出します。 ドラマの中の女優さんのように 美しくは なかったのですが…(汗)
(祖母の弁明をすると… 若い時の写真は、 キリッとした 美人女将です汗) 

 祖母の 形見の 着物を 時々 出してみては、 羽織ってみたりします。 なんとなく 祖母の温かさに包まれているような 気持ちになります。 

 
 旅館の女将にしては、 粗末な着物ばかりです。 しまつをして、 物を大事にしていたのだということも しのばれます。 

 祖母の残してくれた 着物に 刺繍を入れてみようと 何度も思ったのですが、 手が止まります。 

 たぶん 祖母は喜んでくれると思うのですが、 そのままにしておきたい という気持ちになってしまいます。 

 着物を着た 祖母の姿を 思い浮かべて、 着物に手を入れることを躊躇してしまいます。 
 

 姿かたちは、 無くなってしまった祖母からでも、 影響を大きく受けている私がいます。 

 私が 苦境に立ったとき、 いつも 心の中で 「 私は、 おばあちゃんの孫だから大丈夫 」と 言っています。 

 祖母は、 今でも 心の支えです。 

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